【連載】トラブル王が語るM&A失敗談 ②トリクロロエチレンは死の香り

自分の失敗談を人に話をするのは正直些か気が引けるのですが、ここは一つ、皆さんの失敗を一つでも少なくするために、恥を忍んでお話しましょうシリーズ第2回目。

 今回の失敗は正直、駆け出しのM&Aアドバイザーだった私を退職寸前に追い込んだ致命的とも言える今でも思い出したくもないトラブルのお話です。

因みに後にも先にも私が売買契約そのものを遡って無効にした上で、フィーを全額返金したのはこの一例だけだったりします。

 それだけに嵌るとインパクトが大きいトラブルなので、是非他山の石と思って読んでくださいね。


☆ メーカーのM&Aのポイントとは? ☆  


さて、もう20年以上前のことになりますが、ある金属の精密加工を専門にしている会社のM&Aのお手伝いをしたことがあります。

作っているものはオーディオ装置向けのフライホイール、日本語で言えば弾み車という部品。

年商10億円くらいで5000万円以上は毎年コンスタントに利益を出している優良企業でした。

実は、この会社は・・・・・と言いたいところですが、本題に入る前に、ここでメーカーのM&Aについての基礎中の基礎みたいな話をしておきましょう。

実はメーカーのM&Aには財務内容などより最初に把握しておくべき事があるからです。


まず最初に把握すべきこと、それは

1)『加工の方法』

2)『加工する材料の種類』

の2つです。

そしてこの2つが決まると必然的に『使用する工作機』が決まり、その工作機の種類によって会社の作っているものや技術力が大体掴めるようになる、というのがM&Aにおける定番の事業の把握方法なんですね。


 『加工方法』は大きく分けて『成形加工』『切削加工』『接合加工』の3つがありますが、当然方法が違えば、用途も違います。

 ものすごくザックリというと、成形加工は、要は鋳物とか鍛冶屋さんのように熱や圧力を使って物を作ること、切削加工は削ってものを作ること、業界では引き物とか言います。

 そして、接合加工は溶接やろう付けのように高い熱で溶融させて、一体化した物を作る方法のことです。 

この3つはそれぞれ更にダイキャストだとか鍛造だとか、板金成形とかに細かく分けられ、更に材料や使用する機械によって曲げとか、へら絞りだとか圧延、だとかプレスだとか加工方法が変わってくる訳ですね。


 材料のほうは、鉄、鋼、アルミニウム、銅及あたりがメジャーな材質で、後はチタンだとかマグネシウムだとか特殊な材料が加わります。 

そしてこの2つの組合せにより使う機械の種類が決まってくる、製造のプロではなく、一般の方やアドバイザーがメーカーのM&Aを手がける時にはそんなふうに考えたらほぼ間違いないと思います。


この定義に当てはめると、 この会社の場合は、『鉄の丸棒を自動旋盤で切削加工する会社』でした。 

最初にこういうカテゴライズをするのは、もちろんその会社の内容を大きく把握するためでもあるのですが、業界特有のリスクを予め抽出し、事前に手を打っておくという意味もあります。

 そしてまだ駆け出しのアドバイザリーであった自分は、そもそもその辺のことがよくわかっていなかったことに、根本的な原因があったのです。

つまりトラブルを知る、ということは、決して事例や対症療法の仕方を知ることではなく、業界を知り、そこにある落とし穴を予め知っておく、ことだ、ということなのですね。

☆ 見えない恐怖 土壌汚染 ☆


さて、そろそろ肝心のトラブルの話に移りましょう。

 トラブルが表に出たのは、M&Aが終わって3ヶ月後のことでした。


 久しぶりに買い手からの電話がかかってきたのは、夜の11時。

部長さんからの電話で、その内容は、社長が私と緊急に話したい事があるといっている。

どんな事があっても、翌朝6時!!にきて欲しいというものだったのです。 

それだけでも事の深刻さが分かろうという物ですが、トラブルの内容を聞いて身が凍りました。

 それは『売り手の会社が洗浄液の不法投棄をしており、工場の敷地に土壌汚染があることがわかった』というものだったのです。 


もちろん私はすぐに売り手に廃液処理について確認したのですが、その結果今まで全く把握していなかった事実が判明したのです。

確かに完成した部品を洗浄する際、廃液は適切に処理していました。

そこまでは私も知っていたのですが、実は過去トリクロロエチレンを使用しており、しかも20年ほど前までは、その廃液を敷地内に穴を掘って処分していたことがわかったのです。


 本人達は過去のことで今は適切に処理しているから問題はない、と思っていたようですが、過去の投棄の結果、工場の敷地の土壌は汚染されていることは確実でした。

 つまりひところ話題になった豊洲市場と同じことが、この工場にも起こっていたという訳です。


 実際問題、この工場のように、切削加工、プレス、研磨、表面処理などを行っていた企業には、大抵この土壌汚染の問題は付きまといます。 

しかも面倒なのは、過去に行っていたことに起因しているので、現在の状況を確認しただけでは、リスクを把握できないということなのです。 


現在の土壌汚染防止法では25種類の有毒物質が規定されていますが、中でも豊洲で話題になったベンゼンや四塩化炭素、1-2ジクロロエタン、1-1ジクロロエチレン、シス1-2ジクロロエチレン、1-3ジクロロプロペン、ジクロロメタンといった11種類の薬剤は、第1種特定有害物質に指定され、土地の売買にあたっては不動産調査が義務付けられ、大抵の場合は、その除去費用などが売買価格から差し引かれる(スティグマ減価と言います)のが一般的です。


しかも 切削加工工場が厄介なのは、大抵の工場で、かつて金属や機械の洗浄用途に、トリクロロエチレンやテトラクロロエチレンといった溶剤を使っていたことこです。 

これらの溶剤は、安価で洗浄力が高く、非常に広範囲に用いられたのですが、のちに人体に対する発ガン性が認められ、現在は製造も使用もほぼ禁止されている有毒物質なのです。(なお、この当時はまだ使われていました) 

悪いことに、トリクロロエチレンは水より比重が重いため、一旦土壌に漏れ出すと長期間、広範囲に残留し、最悪のケースでは周囲の地下水汚染などを惹きおこします。


 そしてこの工場がかつて投棄していた溶剤も、よりによってトリクロロエチレンだったのです。 

もしこの工場が原因で、周囲の土壌や水道水まで汚染を引き起こしていたのなら、ことは住民の健康にも関わることになり、一大事になる、そんな悪夢も一瞬頭を過ぎりました。


 ともかくこの事実は私にとってまさに青天の霹靂で、家に帰る気力も湧かず、少しでも休もうと赤坂のカプセルホテルに行ったものの、一睡もできずに朝を迎えたのを、今でもよく覚えています。 


さて、その後ですが、この時は売り手の方がとてもいい方で、全面的に自分の非を認め、株を買い戻しすとともに、その途中で何があっても一切買い手には迷惑をかけない、とおっしゃっていただいたので、トラブル自体はなんとか収拾することができました。

 とはいえ、こうした状況にまでなったのは、過去に遡って排水の処理や土壌汚染の可能性を考えなかった私のミスであることは明らかで、結局、株価ばかりではなく、成功フィーは全額返金。

 更に株ばかりでなく、社員や銀行取引など全てを元に戻すのには半年以上かかり、その間は私は買い手からの厳しい視線を受けつつ、収拾の為の事後処理にただ働きを強いられることになったのです。


 なお、当時は土壌汚染防止法も施行されておらず、法制度や土壌汚染に対する対策も未整備の時代でした。 

現在では、地図を見ただけである程度汚染の可能性を確認することができるようになり、また調査の費用や期間なども、以前より安価にまた短期間になっていますので、ここまで酷いことにはそうそう

ならなくはなってはいます。

 

ただ油断は大敵です。

 それだけに土壌汚染を見逃すということは、現在のM&Aではあってはならないこととされています。 

その事は国民的な大論争を引き起こした築地市場の豊洲移転問題を見ても、明らかでしょう。

現代では健康に関わる環境への対策は、以前とは比べ物にならないほど高いレベルを求められているのです。


 私の失敗の二の舞にならないよう、土壌汚染や公害については、夢夢油断なさらないようにしてくださいね。