【コラム】戦争の道を招いた信号無視!? ゴーストップ事件
最近Twitterで「今日の歴史」という、今日は何の日?みたいなよくあるコンテンツを呟いているのですが(取り敢えず余計なことしてないで仕事しろという声は聞かないふりの方向で)、今日6月17日はあのゴーストップ事件の日だそうです。
え、そんな事件知らないって?
そうですねえ、ただでさえ学年末にあっという間に通り過ぎる近代史にあってこんなどうしようもない事件をいちいち学校で教えもしませんし、覚えたところでいいことなど何一つないので、普通の人はまず聞き覚えないだろうと思うのです。
なのですが、戦前の日本の方向が狂い出した一つのきっかけになったという話もあって、それはそれで興味の深い話でもあります。
そんな訳で、今日のお題はゴーストップ事件です。
☆ 赤信号無視から殴り合い ☆
さて大阪人ならおなじみ天神橋筋という通りがあります。
名物はなんといっても日本一長い商店街。
近くには天神橋筋六丁目駅なんていうやたら長い名前の駅があり、京阪や地下鉄が交差する交通の要衝として大阪人なら一度や二度はお世話になったはずの場所です。
事件は1933年6月17日、その天神橋筋6丁目の交差点でおこりました。
大阪第八連隊(又負けたか八連隊、というフレーズで有名ですな)所属の中村一等兵が、急いでいたのか、あるいはいつものようにか赤信号を無視して交差点を渡ったところ、運悪く近くの曾根崎警察署の戸田巡査に見つかってしまったのです。
ここで素直にごめんなさい、と謝っておけば何の問題もなかったのですが、虫の居所の悪かったのか中村一等兵が逆切れ、『俺は軍人だぞ、お巡りごときに従えるか!』なんていっちゃったからさあ大変。
曾根崎警察っていえば今でも新地のチンピラを相手にしている強面。
こっちはこっちでヒートアップし、いつしか乱闘に突入、お互い全治1−2週間の怪我を負うという有様となったのでした。
まあ、ここまでは単なる大人げない喧嘩騒ぎですむのですが、1週間後、週刊朝日がこの事件を嗅ぎ付けて全国に大々的に報道したことで事態は意外な方向に進みます。
☆ 激突! 陸軍 対 内務省 ☆
週刊誌で騒がれ後に引けなくなったのか、 大阪第八連隊が所属する第四師団の参謀長、井関大佐が『この事件は単なる一兵士と一巡査の問題ではなく、皇軍の威信に関する重大問題である』と突然話を大きくして大阪府警に謝罪を要求。
更に陸軍の大実力者である荒木貞夫陸軍大臣までが、第四師団司令部を訪れ警察の対応を非難するという騒ぎなったのです。
しかし泣く子も黙る陸軍相手に、大阪府警側も、『兵士とはいえ平時には一市民であり信号を守るのはあたりまえ』、『陛下の軍人を侮辱というが、警察官も陛下の警察官である。』、『軍隊側が暴行傷害侮辱罪で告訴するなら、警察も公務執行妨害で訴える』と一歩も引きません。
当時の警察は現在と違い内務省という役所に所属していました。
内務省は現代で言えば総務省に国土交通省、厚生省の一部に警察庁に加え、更に国家公安委員会を束ねるスーパー官庁。
特に内務省警保局は、全国の警察組織に加え悪名高い特高警察を管轄し、陸軍にも匹敵、あるいは凌駕する勢力を誇っていたのです。
こうして事態は末端の兵士と巡査の喧嘩から、陸軍と内務省という当時の日本を仕切るスーパーパワー同士の全面衝突に発展しました。
更に当時のマスコミはこの事件を『ゴーストップ事件(ゴーストップとは信号のこと)』と呼び、連日やんやの報道をしたものですから、公衆の手前どちらも一歩も引けず、遂に軍隊と警察が互いに相手を告訴するという前代未聞の事態に突入したのです。
事件の目撃者や関係者には連日事情聴取と取材が殺到し、その心労で2人が自殺に追い込まれました。
☆ 意外な幕引き、しかし因果は巡る ☆
日本中の関心の集まる中、しかしこの戦いは意外な人物の登場で幕が引かれます。
なんとどこからか話を聞いた昭和天皇が、荒木陸軍大臣に『ゴーストップ事件というものがあると聞くが、どうなっているのか?』と尋ねたため、恐れ入った荒木大臣が急遽事態収拾に乗り出したのです。
結局、天皇の特命を受けた兵庫県知事の仲介で両者は和解したのですが、どういう経過か結局その内容は陸軍に有利なものであったと伝えられています。
以後軍人の違反は憲兵に引き渡すことになり、平時と言えど警察が軍人を取り締まることが事実上できなくなったのです。
このことは精神的に行動の免罪符を軍に与えたのも同じでした。
最大の政治勢力だった内務省が陸軍に屈したことで、以後陸軍の暴走には歯止めがかからなくなったのです。
同じ年、満州事変の結果として日本は国際連盟を脱退しました。
こうして国内は愚か外でも、もはや陸軍を止めることのできるものはいなくなりました。
余談ですが、2年半後の226事件では警察庁は真っ先に陸軍の反乱部隊の標的にされています。
この事とゴーストップ事件の屈辱は長く内務官僚に残り、戦後陸軍が徹底的に解体されたのは、GHQだけでなく彼ら内務官僚の意向があったという説もあるくらいです。
又戦後、海軍と比べ陸軍がたたかれるのは、政権を握った旧内務官僚系の人たちのネガティブキャンペーンの結果だ、という人もいます。
それくらいこの事件は当時の人たちには強い印象を与えたという事なのでしょう。
後の歴史については皆様ご存知の通り。
政治は軍の暴走を止められなくなり戦争へと向かってまっしぐらに突き進む訳です。
風が吹けば桶屋が儲かるではありませんが、大阪の街角での些細な信号無視が日本を戦争に導く遠因となった。
なんとも歴史の因果というのは不思議なものですね。
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