【コラム】イタリア式 『蛮族ホイホイ』

人類史上、一番大勢が犠牲になった病気は何か? 

ある研究によるとその答えは ”マラリア” だそうです。

 

一説によれば通算すると 全人類の半数はマラリアで死んだ計算になる とかならないとか。 

現代では熱帯の発展途上国の病気というイメージが強いマラリアですが、イタリア語のMala Aria(マラ・アリア=悪い空気)が語源であることからわかるように、元々はイタリア半島の風土病 として知られていたようです。 


マラリアは、しばしばイタリアの、いや全世界の歴史を大きく変える役割を果たしてきました。

今日はそんなイタリアの風土病が、世界の歴史を変えてきた、と言うお話。


☆ 蛮族の墓場 イタリア半島 ☆


 時は4世紀頃のイタリア半島。

 繁栄を極めてきたローマ帝国も相次ぐ内乱や蛮族の侵入により急激に衰えが目立ち始めていました。 

この巨大帝国に最後の止めをさした一因が実はマラリアだったと言われています。

 この時期イタリア半島を席巻したマラリアの大流行は、帝国の経済に致命的な打撃を与えただけでなく、イタリア人の平均寿命を大きく引き下げ、帝国はイタリア本土を防衛する軍団の徴兵にさえ苦労するようになっていました。

 この結果、帝国は同盟するゲルマン人部族に自国の防衛を依存するようになったのですが、自国の防衛を他人に委ねる国家がろくなことにならないのは古今東西自明の理。




395年、同盟軍への防衛費の増大で財政難に陥ったローマが、ゲルマン系の同盟軍西ゴート族への賃金支払いを停止すると、金の切れ目は縁の切れ目、とばかりに、西ゴート族は一転して帝国を裏切り、ローマへ向けて進軍を開始。 

防戦空しく410年、遂にローマは西ゴード族の手によって陥落させられてしまいました。


 軍事力ではもう打つ手の無い帝国は、渋々、西ゴート王アラリックに西ローマ帝国宰相兼イタリア総督の地位を与え懐柔することにしました。

こうして蛮族の王から、一躍ローマ帝国の事実上のトップにのし上がったアラリックは思いっきり舞い上がります。 


「はっはっはっ。我こそはゴート王にして西ローマ帝国宰相、アラリックI世なるぞ」 

ほとんど気分は平家物語の平家一門。

 しかしおごれるもの久しからず・・・・突如として西ゴート族をマラリアの大流行が襲ったのです。 

実はこのときローマ帝国は、とっくの昔にマラリアでボロボロになったローマを見捨てて、首都をラヴェンナに移していました。 

そうとは知らないゴート族は、マラリアの大流行に晒されてズタボロに。

 挙句にアラリック本人も死んでしまいます。(ちなみに平家の平清盛の死因もマラリア)


 こうしてゴート族はイタリア半島から逃げ出していきました。 

さて、空になったイタリア半島に次にやってきたのは、カルタゴを占領して活き上がるヴァンダル族。

 早速イタリア全土を略奪し放題、455年にはローマも占領して掠奪しまくります。

因みに英語で蛮族のことをバーバリアンというのはこのときのヴァンダル族の振る舞いが語源というくらいですから、どんだけ略奪しまくったのか想像がつくというものですが、例によって軍事力皆無な西ローマ帝国は、又してもヴァンダル王ゲイセリックを役職で釣って懐柔します。

「はっはっはっ。我こそはヴァンダル王兼イタリア総督 ゲイセリックなるぞ」 

しかしおごれる者久しからず・・・・(以下略)

ということで またしてもマラリアでボロボロになったヴァンダル族も、ほうほうの体でアフリカに引きあげていきました。


 こうしてその後の百年あまりの間に幾多の蛮族がイタリア半島に侵入し、その度にマラリアや伝染病(発疹チフスなど)で壊滅していきました。 

 さながら”蛮族ホイホイ” イタリア恐るべし です。 


その後なんだかんだあったのですが、結果的にイタリアに近づかず、マラリアの被害を受けなかったフランク族が、その後のヨーロッパの覇権を握ったのは、決して偶然ではないと言えなくもありません。 


☆ 蛮族ホイホイに嵌って没落した神聖ローマ帝国 ☆


 さてその西ヨーロッパの覇権を握ったフランク族の王、カールI世(大帝)は、その後ローマ教皇の要請を受けてローマに軍を派遣。

 800年、ローマ市民以外では始めて、念願の西ローマ皇帝位に即位することになりました。 

カール自体はその後直ぐに亡くなってしまったのですが、その後継者たちは今度は「我こそは西ローマ皇帝」という、もはやほとんどどうでもいい称号を確保するため、イタリア半島の覇権を争うことになりました。 


 かくてイタリアは再び蛮族ホイホイとしての機能を復活。
 


フランク王国崩壊後のドイツを統一し、更に全イタリア支配を目指した神聖ローマ皇帝オットー大帝とその息子オットー二世は、いずれも勝利を目前にして、マラリアで死亡。


 その死後、彼らの巨大な帝国は諸侯の反乱で瓦解してしまい、神聖ローマ帝国は、哀れなことに歴史上”神聖でも、ローマでも、帝国”でもないなんて揶揄される存在になってしまいました。


 それでも1167年にはその神聖ローマ帝国を再建し、ローマ教皇庁も屈服させんとした皇帝バルバロッサが、今度こそとばかりにローマを包囲します。

 ところがローマ教皇庁全面降伏のまさにその直前、マラリアが皇帝軍内で大流行し、ローマ包囲中の皇帝軍全軍が崩壊。

 カノッサの屈辱以来の教皇庁との対立は、またしてもローマ教皇庁に軍配があがったのでした。


 1525年には、スペインードイツを併せ中世ヨーロッパ最大の帝国を築いたカール5世の軍が、例によってローマでマラリアにより壊滅。 

これを好機と見たフランス軍がイタリアに侵入し、以後50年にわたるイタリア戦争の幕が機って落されました。


 しかしこのフランス軍も決定的勝利を目前にして発疹チフスによって全滅するという有様。

 さすがローマ以來伝統の蛮族ホイホイ。中世になっても容赦がありません。 


その後も、ローマ教皇領によるイタリア統一を目指したチェザーレ・ボルジアがイタリア半島統一を前にしてマラリアによってその野望をくじかれ、イタリアとは関係ないですが、ピューリタン革命で有名なイギリスの独裁者クロムウェルもマラリアが死因。

 病死したローマ教皇とか、イタリアの諸侯にいたっては死因がマラリアでないほうが珍しいくらいだったりします。


 ということで、中世のイタリアの歴史は 、ドイツやフランスがイタリアに侵入 → その度にマラリアやチフスで壊滅 → 撤退 → 空になったイタリアに別の国が侵入 → 以下繰り返し  というある種の予定調和によってなりたつことになったのでした。 


こうした イタリアの蛮族ホイホイの歴史に終止符を打ったのが、なんと、かの独裁者ムッソリーニ。 

彼は国土改造計画の一環として媒体となる蚊の生息源である湿地帯の植林、乾地化を行い事実上マラリア蚊を絶滅させ、遂にイタリアからマラリアを追放することに成功したのでした。 


 たった一匹の蚊が歴史を変える。 

人知の及ばぬ些細なことで人の運命や歴史が大きく変わるのは、今も昔もなんらかわることのない真理なのかもしれませんね。