【コラム】オーストラリアのヒーロー 銀行強盗ネッド・ケリー

突然ですが、アカデミー賞4部門を総なめにした名画『明日に向かって撃て!』はご存知ですよね。

 

ポール・ニューマン演ずる実在の銀行強盗ブッチ・キャシディと若き日のロバート・レッドフォードが演ずるザ・サンダンス・キッド の物語です。 

二人がボリビア警察との銃撃戦で散るラストシーンは、映画史きっての名シーン。

 私も子供の頃TVで見たのですが、あのストップモーションのラストには身が震えました。脳裏に焼き付いて離れないと言うのはああいうシーンを言うのでしょうね。


 さて、アメリカにブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドあらば、オーストラリアには『ネッド・ケリー』がいる! と言うことで、今日はネッド・ケリーのお話しです。


 えっ!?なんでいきなりそんな話なのか、ですって?

 ああ、実は今日から3日ほどオーストラリアにいるのですが、まあ、そんな細かいことをおいておいて、ともかく先に進めましょう。


☆ 甲冑の銀行強盗 ☆

 

多分ネッド・ケリーといってもほとんどの人は知らないと思いますが、その風体は一度見たら忘れられないはずです。 

はい、それがこれ。



 鉄人28号ですか、あんたは。

 あるいは初期のアイアンマン。


いや、 ロバート・タウニーJr.の扮するかっこいいハイテクスーツじゃなくて、こんな奴の方です。


 しかしこの謎スーツこそ、実は当時の権力者を震え上がらせた男の中の男の出で立ち。

いまに至るまで知らぬもののない、オージー男性の憧れなのであります。


☆ 不幸、また不幸 ☆


 さて、そのエドワード・ケリーことネッド・ケリーは1854年にヴィクトリア植民地に生まれました。 

元々流刑地だったオーストラリアらしく彼の父親も又アイルランドので家畜泥棒を働いた流刑囚でした。 

当時のオーストラリアでは、特にアイルランド系の差別がひどく、しかも犯罪者のケリー家は警官に目をつけられ、様々な嫌がらせを受けていたそうです。

 そんな中ネッドは極貧のあまり、子牛を盗み家族に振舞おうとしたのですが、結局バレ、しかもそれが父親の犯行とされて父は監獄へ送られ、獄中で亡くなってしまいます。 

このときネットはわずか12歳でした。


 8人兄弟の長男だったネッドは、残された母と幼い兄弟を養うため、犯罪に手を染めるようになり、14歳で強盗容疑で逮捕、それ以後も22歳になるまでの8年間に4度も刑務所に送られると言う、立派な犯罪者に身を落としたのでした。


さて、 ここまでなら単なる犯罪者の話なのですが、彼が身を落としたのには、一つのバックグラウンドがありました。 

当時ビクトリア植民地は、大部分の耕作地を富裕層が支配し、多くの農民が貧困生活を余儀なくされ、家畜泥棒などの犯罪に手を染めるものも決して少なくはありませんでした。

 こうした中、大地主たちは警察に金をばら撒き、家畜泥棒の取締らせたのですが、金に目が眩んだ警官たちは、有罪無罪を問わず、片っぱしから元囚人やその家族など、それらしい人物を逮捕し、収監していたのです。

 ネッドが本当の犯罪者に身を落としたのも、元はと言えば、これらの汚職警官たちの、免罪によるものだったようです。


 ネッドが23歳になった時、今度はネッドと弟のダンに警官を射撃しようとしたと言う疑いがかけられてしまいます。

 これは本当に冤罪だったのですが、母親は収監され、兄弟は逃亡してブッシュ・レンジャーとよばれる盗賊の元に身を寄せることになったのです。 

盗賊となった兄弟に、尚も警察の手が迫ります。

 兄弟は追っ手の4人の警官に待ち伏せし、彼らに降伏を迫りますが、逆に銃を向けられたため、3人を撃ち殺してしまいました。 

こうして、ネッドは正真正銘の殺人犯として、警察に追われるようになったのでした。


☆ 義賊の誕生 ☆


 開き直ったネッドは、とことんまで植民政府に立ち向かおうと決意します。 

ネッド一味は、この後幾多の強盗を続けますが、決して貧しい民衆には手を出さず、強盗に際しても、極力相手を傷つけないように計らい、無闇に相手を殺すことはありませんでした。

 またある時は銀行強盗をして得た金を貧しい人たちに分け与えたり、借金の証文を街中で焚き火に投じたりと義賊のように振る舞い、その行為が、彼の人気を一段と高めたのでした。 

こうしてネッドはオーストラリア植民政府で最大のお尋ね者として、そのヘルメットと甲冑は大地主たちにとっては恐怖の対象に、一方で貧しい民衆にとってはヒーローのシンボルとなっていったのでした。 


しかしその最後は思いの外早くやってきました。

1880年6月、仲間の一人ジョー・バイアンが逮捕されそうになった時、ネッドは警官隊が列車で駆けつける前に、線路を外して足止めすると言う奇策を考えつきます。

 その時宿にいた70人余りを人質に取り、線路を外す作業をさせたネッドでしたが、そのうちの一人が病気の妻の看病を願い出たため、不憫に思ったネッドはその男を解放したのです。

 しかしこの同情が彼の命取りになりました。 

男はすぐに警察に駆け込み、ネッドとその仲間達は警官隊に包囲されてしまったのです。 


激しい銃撃戦の中、ネッドは重傷を遂に逮捕されました。 

実はこの時ネッドは逃げ果せるチャンスがあったのですが、『仲間を見捨てられるほど偉大なジャンゴには、俺はなれない』といってそれを拒んだと伝えられています。 


こうして1880年11月1日、8万人にも及ぶ助命嘆願の甲斐なく、オーストラリア人最大のヒーロにして、銀行強盗ネッド・ケリーは絞首台の露と消えました。 


絞首台で彼は『人生ってそう言うものさ』と一言呟いたそうです。 

享年25歳でした。